2010年2月 8日 (月)

【映画DVD】字幕なしで「Miss Potter」鑑賞。

 tadoku.orgで、映画Miss Potterを字幕なし(英語音声)で鑑賞した感想を募集していたので、早速挑戦してみました。
普段は海外ドラマ(今はBonesとVeronica Marsを良く観ています)を、英語字幕か日本語字幕で観ることが多いのですが、今回は字幕なしに挑戦。

実はこのMiss Potterは、前にも一度通して鑑賞したことがありました。でも、英語字幕で観たか、日本語字幕で観たかは覚えていませんでした。

前編見終わって、ほとんどすべて理解できたのですが、三箇所だけどうしても聞き取れないところがありました。

☆ビアトリクスが出版社のウォーン氏にお茶に招かれ、母親と姉を交えて4人でお茶を飲みながら歓談するシーンで、母親の言葉がまったく聞き取れませんでした。

☆ウォーン氏との関係をめぐって、ビアトリクスと両親が言い争いになるシーンで、両親の言っていることが聞き取れませんでした。でも、その後のビアトリクスの言葉で、両親が何をいったのかはだいたいわかりました。

☆オークションのシーンのあと、ビアトリクスに競り負けた男性が出口で何か苦情みたいなことを言うシーンで、男性の言っていることが聞き取れませんでした。でも、その後のビアトリクスの返事で、何を言われたのかだいたいわかりました。

CNN Student Newsなどのシャドーイングで、英語だけの音声を聴く機会は多い方だと思いますが、シャドーイングの時は音を再現する(聞いたものを口で再生する)ことが目的なので、あまり内容については気にしていないんです。
それでもわかるものはわかる、というのが実に不思議なんですが・・・(笑)

今回のMiss Potterは、字幕なしでどのくらい理解できるかということを確認しながら、しかも映画が楽しめた(風景やイギリスのいいお家の方の服装)のが収穫でしたね。
これも、多聴・多読で一度に大量の英語を瞬時に処理することを続けてきたからでしょうね。
本を読んでいるときも、わからないところは飛ばしつつ、一日に1万~2万語の英語を処理しているわけですからね。
あとは、わかるところ+映像で内容を理解する力もつきましたね。わからないところを調べて理解することでなく、わかるところをつなぎ合わせて全体を理解する力がね。
わからないところがあっても、わかるところからわからないところがわかる。

わかりづらいなぁ・・・

つまり、今回のMiss Potterでは、言い争いのシーンでは両親のセリフがまったく聞き取れずわからなかった、オークション後のシーンでは相手の男性のセリフがまったく聞き取れずわからなかった。けれど、その直後のビアトリクスのセリフがわかったので、おそらくこんなことを言われたのだろうという想像ができた、と言うことですね。

そうすると、全体としての理解度には影響がなくなっちゃうのですね。

というわけで、面白い経験をしました。
映画を字幕なしで鑑賞するために英語を勉強したい、と思っている人はいっぱいいると思うのですが、実際なかなかそこまで行けないですよね。
私も海外ドラマのBonesやVeronica Marsは、字幕を入れてみます。
言葉として聞き取れても意味がわからなくて、字幕を見て「え~、これってこんな意味なの?」って思うことがいっぱい。
英語字幕を読んでもわからないこともあるし(苦笑)。特に比喩表現やスラングは苦手。
全体のストーリーを理解する上では全くこだわらなくていいところだと思うけど、BonesもVeronicaも、こまかい掛け合いが結構面白かったりするので、そこは日本語字幕で確認したりしますね。これはただの「知りたがり」だったりするのですが・・・

映画を字幕なしで理解する、という理解度の目標は人それぞれだと思うのですが、映画もドラマも一定の時間でストーリーがどんどん流れていってしまうので、わからないところを捨てて、わかるところを瞬時に掴んで消化吸収していく作業に慣れないと、一定の成果は上がらないのではないかと思いますね。
多読で、わからないところはどんどん飛ばして、返り読みしないで進んでいくということを続けていると、この「わかるところを瞬時に掴んで内容を理解する」という作業に繋がっていくのでしょうか・・・

じゃぁ、映画やドラマも、やさしいものを大量にこなせば、いずれは自分が観たい映画を字幕なしで観られるようになる?

どうなんだろね(笑)

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2010年2月 3日 (水)

Susannah's Garden by Debbie Macomber、読み終わりました。

Debbie MacomberのBlossom Streetシリーズ。読みやすくて内容もいいのでシリーズのほかの本も読みたいと思ってウィキペディアで検索したら、シリーズ第3作がこの本でした。
実際は最後まで読まないと主人公のSusannahとBlossom Streetの関係はわかりません。つまり、毛糸屋さんは出てきません。

でも、この本はちょっとミステリというかサスペンス的な要素があって、とにかく先が気になる、真相が知りたいという気持ちでぐいぐい読んでしまいました。
多読を始めて、初めて本をお風呂に持っていって読もうかと思うくらいでした(笑)
普段は、やっぱり湿気で本が痛むよな~と思ってガマンするのですが、今回は本気で以前何かで見た、「ジッパーつきポリ袋に入れて、一緒に消しゴムを入れる」という裏ワザを試してみようかと思ったくらいでした。
でも、ちょうどいい大きさのポリ袋がなかったので断念したわけで・・・

いろんな謎があって、どれもいくつかの選択肢があって、こうなんじゃないか、ああなんじゃないかといろいろ考えて、当たっていたり、外れていたり。
そんなことをしているうちに、新たな事件が起こったり・・・
とにかく先が気になる、真相が気になる、読み始めたら止まらない本でした。

それから、この本が2200万語通過本になりました♪(喜)

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2010年2月 1日 (月)

知多市中央図書館で多読講演会~これでこまろもタドキスト?

こまろが英語の多読を始めて、そろそろ2年半になろうとしています。そう言えば、こまろは酒井先生に何度もお会いして遊んでもらうことはあっても、ちゃんと先生が多読のお話をするのを聴いたことがないんだよな~、と思っていたところに愛知県の知多中央図書館で酒井先生が多読について講演をするという情報が入ってきました。

土曜日に講演会、日曜日に名古屋オフ会・・・これはもう、行くしかないでしょう!!(笑)
というわけで、こまろと2日でちょっとした旅行気分で愛知へ行ってきました。

ORT(Oxford Reading Tree オックスフォード大学出版局の児童向けリーダー)をはじめとする絵があって文字が少ない絵本から始めようという酒井先生の話をじっと聴いていたこまろ。
講演会が終わってから感想を聞くと、「先生のお話はとっても面白かった。帰ったらまたORTをいっぱい読みたい。それで、面白い絵をいっぱい見つけて、酒井先生に教えてあげたいな。」と言っていました。

大人になってから何かを学び直そうとするときに、「一度スタートラインに戻ってみる」というのが、一番遠回りに見えて実は一番近道なのかもしれない、と最近思うようになりました。
初めてのことなら基本中の基本からできても、少し心得のあるものを学び直そうとするときは、つい「ここまではできているから」とか、「この辺は前にもやったから」と思ってしまいがちですが、やっぱり「0(ゼロ)」の地点に戻ってやり直すというのが無理なくできるんじゃないかなぁ、と思っています。

英語多読というのは、とにかく誰でもスタートは「0(ゼロ)」からです。
「いい大人が、絵ばっかりの本なんか見て何が面白いんだろう」とか、「こんな簡単な英語は読めるし、わかるよ」と思うかもしれないけれど、実はそこが一番大切なところなんだと思います。

私は多読を始める前に、TOEIC830点なのに(?)ミステリのペーパーバック(パトリシア・コーンウェルやジェフリー・ディーヴァー)が読みたいのに読めなかったという経験がありますが、その時、わからない単語を辞書で引いても、内容はわからなかったんです。
それを「語彙力不足だ」と思い、一生懸命新聞を読んだり、単語を覚えたりしてカバーしようと努力しましたが、状況は改善されませんでした。
それが、多読を始めて、それこそORTのStage1の文字なし絵本から始めて、やさしい絵本や児童書をたくさん読んだら、読みたかったミステリのペーパーバックがちゃんと読めるようになったんです。

これは、私にとってはかなり画期的なことでしたね。やさしい英語をたくさん吸収することによって今まで読めなかったものが読めるようになるというのは、魔法のようでした。

でも、今振り返ってみると、わからない単語を辞書で引いてその文にわからない単語がひとつもなくなっても、それでもその文に書かれていることがわからなかったんじゃないかと思います。
1冊の本は、ひとつひとつの文章の積み重ねでできていて、それが大きな塊になってできているんですよね。
その塊の中の文をひとつとってそれを理解しようとしても、それは無理だったんじゃないかと思うんです。全体が見えていないのに部分は見えなかったのではないかと。
大きな塊の方に集中すると、物語が楽しめるようになるのではないかと。
そして、その大きな塊の方に気持ちを向けてくれるのが

1.辞書はひかない
2.わからないところは飛ばす
3.読むのがつらくなったらやめる

という多読三原則なんですよね。
つまり、わからないところを飛ばして読んでいても、全体が把握できていて(ストーリーがわかっていて)面白いと思っているならそれでOKだって事ですよね。

多読を始めてからは、ミステリを読んでいて犯人とそれを追う側(警察なり探偵なり)の動きがだいたいわかっていて、「次はこの人が狙われるんじゃないか」とか、「この人、何だか怪しい感じだなぁ」と思ったりすることで面白くなるということがわかりました。
それで、自分が注目していた人があっさりといなくなっちゃって・・・あれれ?なんてこともありましたけど・・・。(作者がそれを意図していたかどうかは別として)

読めるって、一語一語の意味がわかって、一文一文の意味がわかって、ということではなくて、全体的に見て内容が理解できるかって事ですよね。

最近、こまろのマネをしてエレクトーンを弾き始めて思ったんです。
本当にやさしい曲から始れば、私だって弾けるようになるって。
それから、あまり細かいところにこだわらずに1曲を弾くようにすると、何度も弾いているうちに細かいところも少しずつ整ってくるって。

多読と一緒だな~って思います。

あとはぼちぼち長続きしているところも多読と一緒です。

そして、親子で楽しんでいるところも。

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